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安倍政権批判の文言入り文具より批判させない教育の怖さ

ツイッタートレンドにて、安倍政権を批判するやり方が稚拙すぎて、
しかも教育者がやったことで話題になっています。
下記画像は「アベ政治を許さない」というクリアファイル。

アベ政治を許さない

北海道教育委員会が調査し、
一部の学校で政治主張入りのクリアファイルを配っていた。
配った側の教職員組合側は「学校現場を萎縮させる」
反発しているのですね。

やることが稚拙で笑ってしまいます。
ただ、同時に現在の教育問題も明らかになっています。
すなわち「批判」させない教育です。

 

批判とは何ぞや

ブラックジャック

批判を辞書で調べると、

  1. 物事をあらゆる角度から見て分析し、判定を下すこと
  2. 単なる悪口や誹謗中傷、人格否定など

2つの意味があり、教職員側が行う批判は「悪口」に該当します。
また、私たちが一般的に使う批判は「悪口を含んだ否定」に当たります。
悪口は「言動が道徳や社会的規範から外れ、有害かつ迷惑」を意味します。

一方で「物事をあるがままに見つめたうえで判断を下す」
という形を行うと、頭を鍛えられます。
いろんな意見に対し、一つのデータとして受け入れることができます。

私が書いている記事も主に批判です。
しかし「誹謗中傷を含んだ否定」でなく、
「できる限り物事を科学的かつ論理的に分析を行い、
わかった内容を乗せる」意味を持っています。

研究者になると、批判が仕事になります。
もちろん、物事をあるがままに見詰めたうえで観察し、
わかったことを人々に説明することが仕事となるのです。

 

批判を受ける意味

ui
※知らない人から批判を受けて、このような状態になる人はいるかな

私も批判はされ、数日間考えます。
もちろん、イラッとすることだってあります。
「お前に何がわかる」と言いたくなりそうなときもありますよ。

しかし、冷静に批判を受けた理由を見ていくと、
自分の生き方の見直しにつながっていくのです。
このままの考えを持ってよいのだろうか?
もう少し視野を広げてみるべきではないか?

自分の考えを深めるきっかけになるのです。

今回の低能な批判を通し、私は危機感を持っています。
「教育者ですら考えているようで、操り人形が多いのか」
という現実です。

 

「批判」させない教育とは

※ 出口現代文実況中継の問題として載っている、
「小林秀雄」の文章はぜひ読んでおくこと。
批判についてより深い考え方ができるようになる。

相手の意見を抑圧

操り人形ができるまでの流れを簡単に見ていきます。
前提として、「お前(主に子供)の意見は述べるな」

人はそれぞれの生き方があり、様々な視野で物事を見ます。

このとき、教師が「自分以外の考え方はすべて悪」
思い込みに染まっている場合、
自分と違う意見を述べた生徒に対し、
大人という権力を使って、子供の意見を封じ込めます。

一部の大人からすると、
年下から意見を言われることは腹が立つのです。
相手の意見が本質をついていると、自分の意見が稚拙だとわかる。

だから強引に説教し、相手の意見を無理やり封じ込める。
見方を変えると思想弾圧です。

 

思想教育

新聞

続いては思想教育ですが、一方的な意見しか載せません。
テレビや新聞は一方的な主張を私たちが読んで判断します。
受動的な情報を受け取るのです。

(反対にグーグルなどを使ってキーワードを自分から調べる場合、
能動的に情報を得ていくのです)

例えば戦争について教育する場合、戦争反対ばかり見せます。
わかりやすい事例として原爆の写真を見せる。

このとき
「日本がアメリカにたてついたから、原爆を落とされた」
特定の考えのみを教員そろって主張します。

すると子供は無意識のうちに
「アメリカに逆らったから原爆を落とされたのだ」
一つの意見ができてしまうのです。

ここで次のような子が出たら思想弾圧に入ります。
「戦争は賛成です。やらねば領土がとられ、
私たちは奴隷扱いを受けてしまいます」

「戦争に賛成も反対もありません。やるかやられるかです。
原爆を落としたアメリカは極悪人です。
アメリカは日本人すべてを殺したくて原爆を落としたのです。
何しろ白人はイエローモンキーと黄色人種をバカにしていましたから」

特定思想を植え付ける側にとって最も恐ろしい情報は、
自分が植え付けようとする情報と少しでも違う意見が出ること。

違う意見が出ると、そこに賛同する子が出るかもしれない。
すると自分たちの教育が間違っていたと判明し、権威が落ちる。
防ぐために刷り込みに成功した子を使って、
違う意見を持った子をいじめたり、教師自ら説教したりするでしょう。

 

象徴やキーワードを作る

思想はわかりやすく誰もが何も考えずに口ずさめるようにします。
言葉を凝縮することで、深い考えを省略できるのです。
言い換えると、論理の飛躍を利用するのです。

例えば安保法案反対デモにおける、ラップ。
「戦争反対」「アベ政治は許さない」

戦争反対だけで、批判対象が「戦争させようとしている安倍政権」
思い浮かべてしまいますよね。

安倍政権は戦争させようとしている→戦争反対

しかし、論理に飛躍があります。
安倍政権はどんな形で戦争させようとしているの?
安保法案がなぜ戦争につながるの?
世界における、日本が置かれている立場って何?
そもそも安倍政権は戦争をしようとしているの?

こういった部分を一つずつ埋めることで、
初めて論理の飛躍がなくなります。
同時に「あれ、この主張おかしくないか」疑問も出るのです。

そこを防ぐために考えさせず、すぐさまイメージをつなげるよう、
ある言葉を言ったら、多くの人が予想通りの行動をするよう、
メディアなどを使って操作します。

原爆

例:私が「戦争賛成」と言います。したら他が批判します。
「お前はたくさんの人の血を見たいのか」「人殺し」
メディアを中心に私が徹底的に批判され、社会的な抹殺を受けます。

結果、「戦争賛成」という言葉は「社会的殺人」を受けてしまう。
自分の立場が危なくなってしまうから、使わないほうが良い。
こうして言葉がタブー視され、特定の思想を形作っていくのです。

これがよく見られる状況は「争う」描写があるアニメや特撮です。
正義の味方VS悪の大王において、悪の大王による主張は一つ。
「この地球を侵略してやるぞ」

そしたらヒーローたちが敵をぼこぼこに倒します。
結果、「地球を支配しようとするやつ」は「正義の味方に倒される」
公式が脳の中で出来上がるのです。

もちろん、感情としても正義が勝利したほうがよいでしょう。
しかし現実は正義以外にもいろんな「裏」があります。
そこまでは見せないから、簡単に騙されやすくなるのです。

 

補足:アベをあえてカタカナにする理由

「安倍政治は許さない」と「アベ政治は許さない」
アベとカタカナで書いたほうがわかりやすいですね。

また、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマといったように、
戦争や原発といった、特定の意味を込めた言葉として、
カタカナを使っているのです。

 

批判の本質

ジャスラック本社
ジャスラック、著作権業界の独占は批判も許さぬ場所だったが……

批判するということは、事実を調べることです。
自分からたくさんの情報を調べ、整理することで得られます。

例えばねつ造説が大きい南京大虐殺。
これは本当に存在したのか、あるいはねつ造なのか。
調べていくには、当時の歴史状況を調べます。

歴史以外にも南京がどの地方に存在するのか?
南京の気候や生活情報、当時の世界情勢など、
ありとあらゆる分野をデータとしてつかんでいきます。

詳しいことはこちらをお読みください。
中国ユネスコ(南京)から事実の強さを知った

たいてい嘘に引っかかる人は自分から調べようとしません。
いや、受け身で入ってくる情報だけで判断するのです。
情報を得る場合、受け身でなく能動的に動くこと。
自分から調べることで、多様な考えができます。

 

結び:教育者が見せた問題

教育者が一方的に政治主張をする。
アベ政治を許さないなら別にいいのです。
しかし大きな問題は「安倍政治」を様々な方向から見ないこと。

教師なのに多様な視点から物事を見ようとしない姿勢が、
クリアファイル一つに表れているのです。

物事は一つの側面から見てはいけません。
必ず自分から情報をつかみ、多様な視点を持っておくこと。
これこそ生徒が教師やメディアに勝利する手立てです。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。