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古文と漢文の素読に文章と感性を鍛える秘訣があったとは!

おはよう、しゃしゃ。古典を学ぶ際、

「なんでこんな役に立たんもんを勉強せなあかんの?」

思った経験はないだろうか?

年を取り私はある事情から古文や漢文を再勉強するようになった。
すると「文章を書く際、とても役に立つ」と実感したよ。

後ツイッターで「古典は本当に必要なのか?」
トレンドに上がっており、賛否両論を呼んでいる。

私は「実学」に役立つからやったほうがいいと確信している。

 

学生時代に古文や漢文を勉強するとどう役に立つ?

学生時代に個展を勉強しても、将来いかにして役立つか?
目先の役立ち度しか考えないので、習っても不要と思う。

学生時代、私は数学にも感じだよ。

ある程度年を取り、鬼編集者の手によって文章を直す機会が生じた際、
声に出して文章を読む訓練をしたところ、なかなか面白いと気づいた。

声に出して文章を読むと、作者がどれだけ文章と向き合ったのか?

嫌というほどわかるし、文章の下手さにも気づく。
今、しゃしゃが読んでいる記事は数年前に書いた記事だが、
当時の自分が書いた文章の読みにくさったら……。

学生時代は気づかないだろうけれど、
社会人になって文章と戦う日が訪れた際、古典は大いに武器となるよ。

昔の文章は昔の人が「話し言葉」で書いた日記や文学であり、
彼らは「話すように書いた」わけだ。

だから文章を読んでいて「補ってほしい」考える一方で、
声に出して読むとすらすら読める。

学生時代の古典学習は「大人になった」ときに役立つ、漢方みたいな効果を持つよ。

学生時代に種を植え付けて社会に出てから華が開く状態だ。
だから学生時代に勉強しても「意味がないだろ」思うんだ。

 

古典を勉強しなくなったらどうなるの?

古典は何も古文や漢文に限定するのではない。
シェークスピアやダンテをはじめ、太宰治や夏目漱石、
鳥山明や藤子不二雄といった別分野にも「古典」はある。

例えばドラゴンボールは今も人気がある。
鳥山明さんのドラゴンボールは10年以上前の作品であり古典に入る。

彼の漫画を読むと今でも通じるしとても面白い。
ページを読みたくなるし、読む前に次のページを思い浮かべるとわくわくする。

鳥山明さんが何をどう計算し、コマを作ったのか?

研究すれば漫画を読みやすくするためのテクニックを取得できる。
取得したテクニックを自分の漫画や作品に当てはめる。

すると「古いノウハウ」が「形を変えて役立つテクニック」に変わる。

古典を勉強しなくなると、先人の技術を入手できぬまま育つ
すると新しいアイディアをはじめ、

「こんな世界を作りたい!」

新しい世界が生まれなくなるか、生まれても周りと同じだ。

なお鳥山さんについてはこちらでも語っているよ。

 

古典(古文や漢文)の学習は素読が第一

古典を勉強するなら文法や単語の前に素読すべきだ。
素読とはただ声に出して原著を読むだけ。

学生なら教科書をひたすら声に出して読む。
文法や単語は原著に慣れてからでも遅くない。

原著を読む際、現代語訳を必要とするかもしれない。
私は現代語訳を読まないで原著の身を読み、何となくの状況を浮かんでいる。

受験の場合は教科書副読本を購入し、現代語訳を黙読しながら、
原著をひたすら声に出して読むといい。

毎日古文と漢文を少しでもいいから素読していると、
だんだん原著のリズムに慣れてくる。

慣れたときに文法や単語といった基本ルールを勉強すると、
最初から文法や単語を学ぶよりも取り掛かりやすくなるよ。

もちろん文法と単語を勉強したらまた素読する。
最初に読んだときよりも意味が分かるので内容も入りやすい。

なお私は同じやり方で理科系の参考書を素読している。
社会や英語は言うまでもない。

ぜひこちらも読んでおいてほしい。

 

毎日素読した結果、文章に磨きがかかった

毎日素読を行うと、文章にも磨きがかかる。
古文は「わざわざ説明しなくてもわかるよね」部分を削っている。

敬語を使うかどうかだけで、誰が何をしているかがわかる。

例「なんと悔しきことよ」帝がゼウスに負けなさり、ただ泣くだけ。

上記文章を読んでほしい。「負けなさる」は尊敬語だけど、
「泣くだけ」は敬語を使っていない。なぜ使っていないか?

わざわざ説明しなくてもいいからか? 違う。

負けなさったのは帝である。泣いているのは帝でなく語り手である。

だから帝には敬語を使っているけれど、
泣いている「自分自身」には敬語を使っていない。

敬語の基本を知っている人なら「あ、こういう意味か」分かる。

素読をしていくと、だんだんと文章に対して学習していく。
潜在意識にあるデータに蓄積していくよ。

だから「役に立たないのではないか」と思われてしまう。
目に見えるデータがないからね。

素読をすると「重複」をはじめ無駄やわかりにくい表現が気になり、
だんだん読みやすい文章へ仕上げていく。

コンマ数ミリまで精度の高い道具を作るようなものだ。
しゃしゃが文章を生業にしたり、報告書を書く仕事にあるなら、
古典の朗読は必ずやって言語センスを養っておくべきだ。

言語センスは日本語の場合、漢字と大和言葉に現れる。

「この文章を書くとき、この表現が適しているよね」と、
なんとなくだけど察知する力だ。

なんとなくは潜在意識において「そこおかしいから直せ」というお知らせ

素読をしていないと、潜在意識も働かないから変な文章に仕上がり、
読みにくくて直帰率やページ滞在率といったアクセス解析に悪影響をもたらすよ。

なお敬語についてはこちらを読んでね。

 

現代日本語より古典素読がいいよ

素読の教材として、現代の日本語よりも古典のほうがいい。
現代の日本語を読んだって良いのだけど……

読めばわかってしまうから「一度読んだらもう読まなくていい」のだ。

古典は一度読んでも意味が分からない。だから読む価値がある

一度読んでも意味が分からない理由として、古典の知識がないからだ。
また古典の作者による独特のリズムをつかんでいないからだ。

「繰り返し学ぶ価値がある」のだ。

繰り返し学ぶうちに、新しい考えがうかんでくる。
新たな考えをメモしておくと、自分の世界観構築に貢献する。

「言葉にできないけれど、感覚でつかんでいる何か」を鍛え、
結果として第六感を鍛える。

簡単に読める文章(現代日本語)は読むだけで中身もわかる。
作者のリズムを研究しよう、ノウハウを盗もうと思わぬ限り読まない。

古典は当時の話し言葉であり独特のリズムがある。
何より一度読んでもわからないから、何度も接する。

結果、知識や自分の思考力、感性や表現も鍛えていくよ。

読んですぐ意味の分かる文章よりも、
一度読んだだけでは何を言っているのかわからない文章のほうが、
何度も向き合って読む価値があるからおすすめだ。

初めて素読を行うなら絵本や簡単な小説でもいいだろう。
ライトノベルの素読も結構疲れるけれどおすすめよ。

毎日10分でいいから声に出して古典を読んでいこう。
必ず文章や感性を鍛え、言葉にできぬ情報を察知できるようになるから。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。