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言葉、みんなが意志伝達の手段、そして定義の手段として用いる道具です。
言葉は自分が何もしゃべっていないと独り言として勝手にやってきます。
そのほとんどはどちらかといえば自分の足を引っ張るものばかりです。

あなたはどうでしょう。
自分の言葉に足を引っ張られてしまい、せっかくやりたかったことをやれず、
悔しい体験はあるでしょうか。

私は数回自分の言葉で自分の勇気を蹴落としてしまい、
結果として自分のストレスがどんどん上がっていくのを肌で感じていました。

で、それを解決するのもまた言葉ですが、これが結構大変です。
何しろ宣言する必要があるからです。
 

 

例えば「私は愛と光を多くの人と分かち合って生きていきます」
という言葉、こうして記事として書いたり、独り言としてつぶやく分にはまだしも、
それを自分の師匠や自分が尊敬している人、他人に対して述べる。

というのは非常に覚悟が要ります。
(実はこうして記事に書いて改めて読んでみると、恥ずかしいという気持ちにもなりますが、
これを乗り越えないとまた元に戻っていくわけです)
何しろ言う直前になって「いや、そこで断定したらだめよ、やんわりいわないと」

といった形で、自分自身が必死にそれを止めようとするからです。
宣言は曖昧にすると曖昧な結果しかかえってきません。
これは自分が今まで生きていて自分自身の体験をもとに伝えています。

 

曖昧なものは曖昧なものしかかえってこない。
自信があると自信が跳ね返ってやってくる。
ということで、自信を持って覚悟して言うと、腹がぎゅっと引き締まります。
その時初めて、腹が据わるという言葉が生まれます。

で、私は昨日ある人と電話しました。その人は私にとって師匠のような人。
その人に向かって「私は自分の次元を上げた生活を行います」といった時、
非常に命を取られる気持ちでいました。

 

何言っているんだお前は、という状態にいるならまだあなたは人生において
自分の人生に覚悟を持っていないだろうと勝手に推測しています。
自分の人生に覚悟を持つということは、宣言したこと以外はなるべくやらない。

「なるべく」から「まったく」やらないという部分につながっていきます。
例えば次元の高い生活をすると、私は師匠に言いました。

 

次元の高い生活ってどうすればいいんだろう。
その時師匠が教えてくれたのは天皇を真似しなさいということ。
そして言葉一つ一つに気を遣いなさいということでした。

後もう一つは「私」という意識よりは家族のため、周りのため、国のため、アジアのため……
と、幅が大きいほど、そちらがよくなるようなことを考えていくようになります。
これら3つを守りながら覚悟をもって性活をしていく。

ちょっとでも油断するとすぐ元に戻ってしまいそうです。
実は人間、常に死ぬか生きるかの境目で生きているという自覚があるかないかによって、
「私」はどういう人になりたいのか。

そこが分かってくると確実に考えています。
あなたは、どうでしょうか?

 

※ 追伸

 

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